2011年4月22日金曜日

変な癖

 人は七癖あるという。

ずっと何気にしていることで、考えてみると、変だなぁ~という癖がある。

街中で車のナンバーを見ると何気に計算しているのだ。

車のナンバーが「34―56」とする。

すると、見た瞬間に「34+56=90」とし、次に90÷2=45、45÷3=15、15÷3=5と計算する。

よって、90=2×3×3×5。と、因数分解している。

こんなことしている人、居ないよね?まず。

いらっしゃったら、連絡下さいな。

2011年4月21日木曜日

5番 第二楽章

 映画が好きで月に1回か2回観に行くのですが、先日の日曜日にグランドシネマズで英国王のスピーチを観てきた。

 吃語症の王様が民間の吃語症治療士の助けを借りながら、症状を緩和させ、スピーチが上手くなるようになるというストーリーです。

 ドイツとの戦争状態に突入するというスピーチが最も盛り上がる時で、その時に流れてきた曲が、ベートーベンピアノ協奏曲5番の第二楽章でした。

 そういえば学生時代にサークル室に友達が大量のクラシックのCDを持ち込み、聴いていて、その中のこの曲が気に入って聴いていたのを思い出させてもらいました。

第二楽章の荘厳な始まりと、ゆったりとした曲調が体に響き、いろんな指揮者、いろんな交響楽団の5番を聴き比べました。

 指揮者等によって、感じがとても違ってくるのですよね。

今回の映画に使われた5番は、とても良かったです。

 クラシックのCDをまた、取り出すとしましょうかね。

2011年4月8日金曜日

ピッカピッカの一年生

  地域の御役目で、ゴミ当番はやったことはあったのですが、 今年は、交通安全何とか委員というお役目を賜った。 白線引きをしたり、交通安全週間に、道に立って、交通安全を呼び掛けるものだ。 昨日もその一環として、朝、街頭に立ち、小学生の登校班のみんなを見守ってきた。 入学したばかりの小学一年生のランドセルが真新しくウイウイしかった。 水色とかピンク色とか彩豊かなランドセルで、春を感じさせてもらった。 町の役はとかく敬遠されるものだ。でも、白線引きもそうだがやってみると結構面白い。

2011年4月5日火曜日

良かった良かった

 毎年年末に使わせてもらっている御歳暮は、キムチなのです。 東京の研修でご一緒させて頂いて以来好評で、5年くらいずっと何十個と購入しているのですが、その会社が 福島県南相馬市にあるのです。 福島県であることは記憶していたのですが、よもや、被災地であるとは。 先日何気に、会社の名前を頼りに検索していたら、分かりました。 すぐさま、その会社の知り合いの携帯に電話をしたのですが ・・・ ・・・・でない。 あわてていろいろ聞きまわって、無事であることは把握でき、ひと安心しました。 その知り合いから、本日電話をもらいました。  避難所暮らしでとても大変な環境を強いられていること。 食料は未だ十分には確保できないこと。 町中異臭がすること。 でも、本人の柔らかい性格と福島弁のた め、ユニークに聞こえてしまう。   当日、「人の乗っていない船に追っ掛けられた」という。 必死になって走って、後で気づくと足首は、濡れていたと。 そう聞くと、凄いことが起こったのだなと、実感させられる。  困っている人に対して、何ができるか? 試されているのだと思う。 私はその会社が操業を開始したら、微力ながらも、キムチをいっぱい買いたいと思う。みなにも紹介したいと思う。 御歳暮は父の田舎である栄村の特産品の詰め合わせ。御歳暮は福島復興キムチ、で決まり。

2011年4月3日日曜日

タイ国の援助

 地震が来て津波が遭ったその夜、タイ国政府は、日本に援助を決定した。 記憶に因ると、日本円にして1000万円位だったと思う。 日本国内のニュースでも死者数十人という、阪神淡路大震災に比べたらそんなに大きくないのかな? と思われていたときである。 対応の早さに驚いてしまった。とともに、「国」として援助する金額としては「少なすぎるな」と思ってしまった。 その後、私の聞いた第2報は、タイ国政府は「先の援助に加えて日本が必要とするあらゆる援助を惜しまない」というものだったと思う。  それに先日の第3報。 タイ国政府は「火力発電所を援助する」というものだ。分解して運ぶという。  GDPで日本と比べたらかなりの差があるにもかかわらず政治はとてもしっかりしているなと思った。 感動させて貰いました。タイが好きになりました。

2011年4月2日土曜日

近所の橋の開通式




連日TVでは、何万人もの被災者の困窮する姿が映し出


されているが、長野では「日常」が行われている。


これも大事なことであると思う。


この開通式のあと、夕方からこの橋が出来るまでに尽


力した方々で懇親会が行われ、私は父の代わりに参


加させて頂いた。

お歴々の方々ばかりなので、しこたま頂いてしまった。


脚も漫ろに、何とか家までたどり着き、そのあとは、トイレとすっかり仲良しになってしまった。


しばらく、酒はいらない。